私は、30歳で韓国に社会人留学をしたのですが、なんと『ホームシック』になりました。
留学する前までは、「何度も行っている韓国だし、しかも、30代だし、ホームシックなんかにならないでしょう。」とたかをくくっていたのですが、あっさりとホームシック状態に陥ってしまいました。
そこで、今回は韓国留学でホームシックになった話をご紹介して、自分なりに試して良かった対処法についてお伝えさせていただきます。
ホームシックについて
まずは、ホームシックについて。
ホームシックについてよく知ってるという方は、次のトピックに進んでくださいね。
故郷や家庭を懐かしみ、異常に恋しがる気持ち。 郷愁。 懐郷病。
とのこと。
ホームシックとは言いますが、ある種、「カルチャー・ショック」と言うこともできるようです。
海外で異なる食べ物や習慣、言語などに触れたとき、誰でもある種の「カルチャー・ショック」を体験します。カルチャー・ショックは、慣れ親しんだところを離れる不安から引き起こされます。(参考:北海道大学学生相談総合センターHPより)
なるほど、慣れ親しんだ地元や家族、友人から離れる不安から引き起こされるものなんですね。
そこで次の図をご覧ください。
(Oberg’s(1960)異文化適応曲線(U字曲線)、出典:北海道大学相談総合センター)
突然、難しそうな図を出してしまいしたが、異文化に直面して、適応するのにこんな段階を辿りますよ、という曲線になります。
第1段階:ハネムーン期
第2段階:カルチャー・ショック期
第3段階:回復期
第4段階:適応
実際に留学してみて、まさにまさに!この曲線どおりになりました!
実は、私は大学時代に異文化コミュニケーションの授業を受けていまして、この図の事をよく知っていたんです。それでも、やっぱりホームシックになりました。
ですが、この図を知っていたことによって、「必ず適応期が来る」と楽観的に捉えることができ、カルチャー・ショック期が来ても焦ることなく、客観的に自分の状況を分析し、回復期を待つことができまた。
事前に、知っておくことはとても大切なんだな、と改めて思ったわけです。
ですので、これから海外で生活される、という方はこの図をぜひ覚えていただけると良いかと思います。
ということで、この4つの段階にそって私のホームシックになった話をしていこうと思います。
第1段階:ハネムーン期
ハネムーン期は、新しい環境への期待をいただいている時期です。韓国での生活に胸を膨らませて、まさにハネムーンのように夢見ごごちです。
私も、ずっとしたかった憧れの韓国留学、いつもドラマで見ていた景色の中にいるだけで、何だか自分もドラマの主人公になったような気がしていました。
それに、渡韓後すぐは荷物の整理や学校の諸々の手続き、必要な物を買いそろえたりと、とにかく忙しかったので、ホームシックを感じることもなく夢中に過ごしていました。
これが2週間~1ヶ月くらいまででしょうか。
「全くホームシックにならない。もしかすると私はこのままホームシックにならないのかもしれないぞ」
なんて思っていました。
第2段階:カルチャー・ショック期
1ヶ月くらいたつと、毎日のルーティンが安定していき、だんだんと生活が落ち着いてきました。1ヶ月目までは毎日あれを買いに行ったり、これをしたりと、とにかく忙しく駆け回っていましたが、一旦落ち着くんですね。
そんな感じで落ち着いていたら、突然、猛烈に、
「日本に帰りたい~~~~~!」
となりました。
もう、日本が恋しくて恋しくて仕方ないんです。
そして色々なところにホームシックによる異変が起こり始めました。
日本食しか勝たん、状態
日本にいた頃はあんなに好きだった韓国料理。現地のおいしい料理をたくさん食べれるのに、「日本食食べたい!」と思い、毎日、日本食を作って食べるようになっていました。
しかも、日本にいた時は大して食べることはなかったような「ふろふき大根」とかそんな、お母さんの味みたいな料理が無償に食べたくなりまして。
毎日、食材を買ってきては家で日本料理を作って食べていました。
後から思えば、「もっと韓国料理を堪能しておけば良かった」と思うのですが、ホームシックだったから仕方なかったんですよね。
日本語に飢える
当たり前ですが、世界は韓国語だらけ。テレビを付けても韓国語、外に出ても韓国語、学校では韓国語を勉強して、家に帰って来たら韓国語の勉強をします。
韓国語漬けの生活をしていた訳ですが、ホームシックにより、日本語に触れたくて仕様がなくなっていました。
語学堂に通う日本人の友達と日本語で話したり、日本人夫婦が経営しているカフェに行って日本語で話しかけたり、わざわざ映画館に行って「天気の子」を日本語で見たり……。
ありとあらゆる方法を使って日本語に触れる努力をし始めました。
韓国語を勉強しに行っているのに、矛盾していますよね。
自分でも本当にそう思います。でも、仕方なかったのです。
カレンダーに×を付けて帰国日を数えだす
語学堂の1学期は、3ヶ月。学期と学期の間には2週間程のお休みがあります。8月に渡韓して1学期が終わる11月後半から2週間程日本に帰る予定でした。
ちょうど、カルチャーショック期の時は渡韓後1ヶ月目くらいだったので、このあたりからカレンダーの過ぎた日に×マークを付けて、「帰国まであと〇日」と毎日数えるようになっていました。
「まだ、1ヶ月半もある」と思った時は絶望を感じ、なぜ留学をすることにしてしまったのだろうか、と少し後悔したりもしました。
第3段階:回復期
幸い、私のカルチャー・ショック期は比較的短く、1週間くらいするとだんだんと落ち着いてきました。
ちょうど中間テストがあり、テストに向けて作文を書いたり、発表内容を暗記したりと忙しかったので、日本へ帰りたいという気持ちもだんだんと紛れていきました。
いい調子!と思っていた時に来たのが、母の渡韓でした。
母が1週間滞在
母が1週間、韓国に来てくれました。これがね、もう楽しくて楽しくて^^
まず故郷そのものであると言っても過言ではないお母さんが来てくれたわけです。安心感があり、急速に癒されていきました。
それにいつも一人だったので、なかなか行けなかったご飯屋さんやお店なども二人で行き、おいしい物をたくさん食べました。
一人では食べるのを躊躇していたチキン1羽、2人前から注文できるカルビやさん。景福宮やソウルタワーなどthe観光地にも行きました。
そんな楽しい1週間はあっという間に過ぎ去り、母は帰国。また一人になりました。
ホームシック復活!
正直、この時期が一番辛かった!
母の滞在中は、私が家に帰ると「おかえり~」と母が待っててくれたのに、帰っても誰もいない。
小さな台所でシチューを作ってくれた母の姿が思い浮かび、涙が後から後からあふれていました。とにかく寂しくて寂しくて、授業中も泣いている状態でした。
日本人の友達と話している時は気持ちも紛れて大丈夫なのですが、一人になると泣いてしまって……。その前のカルチャー・ショック期は、本物ではなく、これが本物のホームシックなのかと思いました。
もう、日本に帰りたい。家族に会いたい。とずっと泣いていました。
もう一度、回復期
この毎日泣いてしまう状況は2日間くらい続いて、少しずつ落ち着いてきました。
回復のためにとった行動は、2つ!
①母とLINE
②韓国にいる日本人の知り合いの家に行く
まずは、母とLINEして常に「一人ではない」ということを感じていました。電話すると泣いてしまうと思ったので電話はしないようにしました。
それから、韓国にいる日本人夫婦の知り合いがいたのでその方のおうちに行かせていただきました。ごはんをごちそうになったりして、色々な話をしているうちに少しずつ慣れていきました。
第4段階:適応
そして、2ヶ月が経った頃、だんだんと適応を感じてきました。
語学堂での過ごし方、スーパーでの買い物の仕方、ゴミの出し方などなど韓国での生活に慣れて来て、以前に比べると言葉も通じるようになり、少しずつ自身がついてきました。
猛烈に感じていた「日本に帰りたい!」も少しずつ減っていきました。
韓国で友達や知り合いもできて来て、いざとなったら助けてもらえる人たちができた安心感も大きな助けとなっていたように思います。
気づけは毎日笑って過ごしていましたし、新しいカフェやお店の発掘も一人で楽しくできるようになりました。
試して良かった対処法
ここで、ホームシックになってしまった時の対処法について、試して良かったものをご紹介します!
いつもよく見ていたDVDや動画を見る
これはすごく良かったです。特に日本語のものがおすすめです。
別の記事にも書きましたが、私は「水曜どうでしょう」のDVDを持っていき、辛い時に流していました。面白いし、地元の北海道弁を聴くと落ち着きました。
こんな、いつ見ても笑って辛いことも忘れてしまうようなお気に入りのDVDを1つ持って行くと安心です。
日本語で話す
「せっかく留学に行ったのに、日本語で話すなんてもったいない!」
そう思われるかもしれませんし、実際私も思っていました。
しかし、ホームシックになった時に回復したのがこの「日本語で話す」という行為でした。
外国語で話す時は、当然自分のわかる文法と単語で話すわけですが、心から湧き上がってくる気持ちを外国語ではまだ正確に言葉にすることはできないのです。
そうなると、「本当はこう言いたいけど、言葉がわからないから言わない」とか別の言葉に替えて伝えることになります。
そうすると、自分の気持ちを表に出すことが減っていくんですね。ストレスも溜まってきてしまいます。
そんな時に、日本語で話すと、自分の気持ちをそのまま細かなニュアンスも含めて話すことができます。
私も実際に日本人の友達と日本語でおしゃべりをした時に、水を得た魚のように次から次へと話だし、二人ともマシンガントーク。あっというまに3~4時間経過しました。
その時間の後は、不思議とすっきりとしていました。
時には、自分の言語で自分の気持ちを思いっきり表現することも大事なんだなと実感しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
社会人経験もあり、きっとホームシックにはならないのでは?と思っていましたが、結論、30歳でもホームシックになりました。それに、このホームシックの課程は、おおむね、最初にご紹介した「異文化適応曲線」の通りでした。
実際にホームシックを体験して、何をしても涙が出てしまう時期はとても辛かったです。
でも、最初の「異文化適応曲線」を知っていたので、「大丈夫!これは一番の波底。もう少しで回復期が来る!」と思えました。
もし、この図を知らなければ、ずっと辛いままなのではないかと思い、留学を途中で辞めていたかもしれません。
本当に辛い時は、帰国も選択肢に
私の友達は、学校の寮で生活していましたがルームメイト(日本人)と合わずに強いストレスを感じ、ホームシックが悪化。寝れなくなり、精神科に行ってお薬をもらっていると言っていました。でも、私のような社会人留学生ではなく、大学の交換留学として行っているので単位が必要で、簡単には帰れないと辛い胸の内を話してくれました。
「親にお金を出してもらっているから」
「会社まで辞めて留学に来たのに」
「自分のやりたいことだったのに」
色々な思いがあると思いますが、本当に辛い時は、帰国するのもありです。
日本に一度帰って、心も身体も回復してからまた留学したって良いのです。「仕事を辞めて留学したらから簡単には帰れない」、そんなことはありません。
留学を決断し、海外で生活して、ホームシックを体験というだけでとても貴重な経験をしているのです。その経験がこれからの人生にとっては宝物にだってなり得るのです。
なので、我慢せずに本当に辛い時は、帰国するということも選択肢に入れてください。
全員が必ずホームシックになるということではありませんし、その程度も人それぞれです。
でも、実体験から、ホームシックになり得ることやその回復の課程を知っていることはとても大切かなと思いました。
以上、韓国留学でホームシックになった話でした。少しでも参考になれば嬉しいです。